レビューとメモ

見た展示や動画などの一言レビューとかメモとか覚え書きのようなものです。

北川フラム「アートの地殻変動」

 

 

アートの地殻変動 大転換期、日本の「美術・文化・社会」 北川フラム インタビュー集 (BT BOOKS)

アートの地殻変動 大転換期、日本の「美術・文化・社会」 北川フラム インタビュー集 (BT BOOKS)

 

 

 

 

 思う所がありすぎた ☆☆☆

 

 

 自分も地方でまちづくりっぽい活動に参加してる事などもあり、いろいろ参考になったというより、読むと色々と感情が動く。

 

 

 個人的に、こうした活動を見ていて思うのは、大まかに言うと、こうしたアートフェス的なもののファンが増えるに従って、本格的なARTが逆に育たなくなるのでは?という事だ。

 

 

 現に、イベントから作家側のスターが出ている感じがあんまり無いし。外からスター作家を呼んできてるイメージの方が強い。それなら美術館の方がよくない?という疑問。たぶん美術館の方が本当は良いのではないか(スケールの大きい美術館が無いからこういうやり方でやっているような)。

 

 

 こうした問題は、この本の連載の最後の対談が、村上隆さんであった事からも割と本で言ってる疑問でもあるのかなと思わなくもないが、こういうアートフェスは、正直に言うと、ゆるキャラB級グルメ同様、「元々劣って見えるもの」に地域を絡ませて愛着を作って行く手法に感じなくもない。ある意味では、それが現代的でハマったのだろうけど。

 

 

 もう一つ言うと、こういうのは、最終的な目標が地域活性というか、経済を含む人間の活性を目指している所があるので、そもそもが作品にあんまり意味がないと感じる。「量」と「場」の相関の方が問題だろう。

 

 

 それは、作品の見方にも関係していて、見る側とすると、フィールドが広いと効率的に作品を見られないので、結局、肉体の疲労の方が大きくなって、自分の身体をふくむ自然の摂理の方が大きく感じるようになる。作品を点在させる事によって「量」ないし「過剰性」を演出するというか、滞在時間を延ばし、それで地元を潤わせようとしてる感じも無くもなく。参加型インスタレーションやワークショップなど正に。

 

 

 「大地の芸術祭」なのだから、それはそれで良いのだとも思うが、それは「人間の営為」を記録する美術的な方向性とちょっと違うのではないか?と思わなくもない。まあ、全体が作品だとすれば、それを記録すれば良いのだと思わなくもないが。

 

 

 無論、これが悪いと言えないのは、そもそも、この国では美術というか、欧米的な意味でのARTに文化的権威を与えてないという所もあるのだろう。所詮、外来文化なので、ARTやりたかったら、アメリカに行け!という話の中で日本のアーティストの力を使える土着的に足下を固めた別枠が新たに出てきたという事なのか否か。まだ結論は出ないで進行形の話だろうが、地域やイベント自体でなく、作家がどういう風になっていくか気になる。マルチネ(ネットレーベル)的な事は起こっているのだろうか?

 

 

(ちなみに、大地の芸術祭というイベント自体は、見た結果、凄いなと思いました。マジでこんなのよく出来たなーというレベル)

 

 という話と遠いような気もするけど、対談では、平良敬一さんと辻井喬さんの話が面白かった。気づけば、どちらも都市計画的な話だ。

 

 

抽象画について

 

 写実について書いてみたので、抽象画について日頃、思ってる事のメモ書き。

 

 

 抽象表現については、いろいろ歴史的経緯などもあるが、いまアクチュアルに抽象を志向するのは、絵画が結局の所、写実であったとしても、支持体と画材の相性をどうするかとか、それはとりもなおさず良い色を出すにはどうするかとか、全体の構図をどうするかとか、エッジの鋭さをどうするかとか、そういう事の方に気が取られるからであって、結局の所、その作業はその進行時間内において、単一的な所に落とし込まれるのであるし。だったら、最初から整理して作業を単一的、ないし、コントロールしやすい環境下での複雑さの中に落とし込んだ方が良いのではないか?という所が大きいように思う。

 

 

 その究極の形態がクラインブルーであったり、バーネット・ニューマンのzipであったりするのだろうが、個人的には、絵画である以上、zipぐらいはあるべきだろうというのが今の所のある一つの解のような気はしている。今の所と言っても、随分、古いけど。というか、単色だけっていうのは、やっぱり、絵画的問題というよりはパフォーマンス的な要素が強いのかなっていう気はする。何も展示しないとか。まあ、一番感動したニューマンの「アンナの光」は、ほぼ単色じゃねえかって話だけども。

 

 

 とはいえ、今の所、自分が一番好きなのはロスコで、ああいうエモーショナルなものを絵に置き換える作業というのは、やはり、抽象が一番効率的ではないかと思う。そういう作用というのは確実にあって、それはある種、単純な複雑性のようなものだろう。分かりやすく複雑な感情だけが見えるというか。まあ、構図とか、色の妙とかあるから、それが表現されるんだけども。なんだかんだで技術的なものを見せるには抽象の方が良いのではないか?というのもある。

 

 

 こないだのアンセルム・ライラの展覧会で消化器で壁に色を塗っていたが、そういう「今っぽいアクション」自体も抽象でないと表現できない気はする。要は「気分」もある。

 

 

 ただ、アクションペインティング自体はショー的で個人的にあんまり好きではない。単純に絵が良いかどうかの方が重要で、その為に今っぽいアクションがハマるという事は、抽象の場合、結構ある気はする。消化器のは微妙だったけど、「今」の表現方法としては凄いなと思う。残る絵では無いだろうけど。絵でもないけど。かっこいいけども。

 

 

 というわけで、ずっと絵を見ていくと、単純に抽象の方が単純で見やすくなるというのはある。問題がそぎ落とされてるので、分かりやすいというか。特に構図とか、メンタルの部分で直接的にやっているなという感じはする。

 

 

 あと、ポロックのような自分と自然の中間点を探るような事も抽象じゃないと分かりづらい。というか、写実でも、結局はそうなると思うけど、目がモチーフの「意味」に引っ張られるので、それが分かりにくいのではないか。

 

 

 その点、ポロックは分かりやすい。手法自体が中間点を出してるとしか言いようがなく、晩年と全盛期の比較とか、単なる床の染みあととの比較として見ると、絵画がどういうものかを考える意味で興味深い。それでいて、その絵に善し悪しがはっきりある所も興味深い。結局は、自然より技術故の良さなのか、それとも、人間のその時々の状態を反映してるのが、結局、絵画であるという意味での自然なのか。

 

 

 もう一つ言うと、完全な写実は、制作行程のある段階から塗り絵状態になりがちな気がするので、そこの所で、結局はミニマルな作業になっていくのだろうという気はする。構図を決めたら、あとは写真のようにやるというか、マス目すら描く人がいるようなので、それは結構、目に縛られてるのではないかとか。スクリーン投射なぞるのただのトレスじゃんとか。写真が出来てからの絵画というのが正に抽象なのだろうけど、要は写実も補助線引いてるだけなのではないかとか。完全な写実じゃなかったら、それはただ単に形状でエモーショナルな事を表現してるに過ぎないのではないかとか。

 

 

 

 そう考えると、現状では、絵画の問題が抽象に至るのは当然だなという気もするが、これは鑑賞者の問題を結構省いてる気がするので、やはり、その折衷の中にこそ最適解があるのではないか。で、折衷という意味では、今の日本のデジ絵とかは、「良い絵」が気分的に分かりやすくて良いのではないかとも思う。まあ、その文化に浸ってない人には分かりにくいんだろうけど、それは抽象表現主義とかでも同じだと思うし。ある意味では、初音ミクとかも、モチーフデザインを限定する事で問題がミニマルになってる気がする。

 

 

「写実絵画の魅力」

 

 

写実絵画の魅力 世界初写実絵画専門美術館「ホキ美術館」に見る

写実絵画の魅力 世界初写実絵画専門美術館「ホキ美術館」に見る

 

 

 

面白かった  ☆

 

 

最近、写実絵画について考える事が多く、写実をどういう理由で描いてるのか?考え方が知りたくて買ってみた。

 

個人的に、ホキ美術館には行った事ないのだが、その前後というか、それより前だと思うけど、なんとなく写実が時代にフィットしてきてるなーと思ってた時期があって、それが今に至って、流行っているなーという感じになってきているように思う。

 

自分の理解だと、割りと写実は、ある種の個性を排する事によるミニマルアート的な部分があるのかなーと思っていて、絵的にも、動的というよりは、静謐なものが流行っているような感じはしている。

 

もう一つ言うと、アートの世界が自由になりすぎて何をしたら良いか分からない所に、ある種の「型」を作って、そこの範囲内で一人の作家が色々な事を試す方法論が流行っているのかな?という気もしている。特に、これがアメリカだと、抽象表現主義のような流れに至るのだろうけど、日本ではまだポロックすら知らない美術好きの人が結構な数いる所で、ある種、写実が分かりやすく受けてきた部分もあるのだろう。

 

無論、自分が日本で写実が流行るのは、どういう事かなー?と考えた所で、下手な考えなんとやらなので、ひとまず、こういう本を読んでみたりしてみるわけだが。

 

 

と言っても、知らないものは、やはり、理解が浅く、そんなにはまだどういう事なのかは分からないのだけれど。

 

とりあえず、この本を読むと、「単純化」とか「禅」という言葉も出て来てるので、やはり、ある種、ミニマルな所はあるのかなという気はする。

 

また、ここに載ってる絵を見ると、写実と言っても、やはり、日本的なイメージがあり、海外のものと比べるとウェットな印象を受けるなーという感じはする。ある種の「日本的な概念」を表現するのに、写実と言う表現が適している感じはしなくもない。(本の中の話では、海外の写実があまり無いような印象を受けるが、個人的には、結構見た気がするので「リアリズム 絵画」」で検索かけた所、やはり、結構出て来て、やはり、硬質なイメージの作品が多かった。それが本の中で言わんとしてる写実と一緒かどうかは分からないけれど)

 

あと、そもそも、前述の「ゼロ・グラビティ」もそうだけど、ハリウッドの3DCGは、ほぼ写実と言って良いつくり方であれだけの表現をしてきているわけだから、そういうものと比べて、絵画はどうなのか?どのように位置づくのか?という事も、ここ最近の美術のトピックではあるなーとも思う。

 

そして、その考えで行くと、ひとまず、ハリウッドでの人物写実描写を切り拓いたのがファイナルファンタジーだったなーという事も思い出したので、やはり、日本と写実はフィットするのかなー。などという事も思った。

 

と、以上。やっぱり、浅薄な知識はまとまらず。

 

とりあえず、いずれホキ美術館に行かねば。

 

 

ゼロ・グラビティ(3D版)

 

http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/

 

 

凄すぎた ☆☆☆☆

 

 

遅まきながら見て来た。近年のベスト作品。

 

 

内容的にはどうといった事もないけど、ここまで作り込まれると凄いとしか言いようが無い。ただただ、なんちゅー凄い所なんだ!ハリウッド!!!という、それだけ。

 

 

これをどうやって作っているのか?というより、こんなのを実現できるとは、凄い時代になったもんだというか、あまりにも凄まじい技術力を見せつけられて、なんという鬼のような作り込みなのかと想像を絶する。カット割とか、そういう技術も凄すぎる。これを見て、この先、映画がどうなっていくのか?どうやったら、こんなレベルを維持して更新していけるのか、想像もつかないレベル。それぐらい圧倒的に飛躍した表現力。見事すぎた。

 

(但し、もう一回見たいか?というと、そうでもない映画ではあるが。)

 

 

モーニング娘。'14「笑顔の君は太陽さ」「What is LOVE?」


モーニング娘。'14 『笑顔の君は太陽さ』(Morning Musume。'14[You bright ...

 

 

奇妙な曲ではある  ☆☆

 

 

ただ、聴き慣れると大変良い。

 

独特のタイム感があるので、最初は、何だこれ?って感じになったが、聴き慣れるとかなり癖になる。サビだけ取り出すと、そんなにヘンな曲でもないのだが、通して聞くと、やたら歌詞というか、メッセージの目立つ曲にもなっている。

 

個人的に、かなり後ろの方に来る間奏部分も好き。そこが聴きたくて、もう一回聴いてしまう部分も無くも無く。

 

難しい曲だと思うが、パフォーマンスもMVで見る限り、随分、安定した感もあり、現モーニング娘。の成長を感じられる一曲。

 

 

 


モーニング娘。'14 『What is LOVE?』 (MV) - YouTube

 

 

よく出来ていると思う  ☆☆

 

 

こちらは先行して発表されていた曲だが、すごく良い。単純な出来でいえば、こっちの方が全然良いと思う。ただ、頭にこびりつくとか、野心的であるとか、そういう意味では「笑顔の君は太陽さ」の方が力強いとは思うが。

 

 

しかし、この曲も発表された時は、また凄い曲が来たなと思ったものだが、トリプルA面の一曲という事で、映像を見る限り、実質B面的な扱いな感じもあり、なんというか、今のモーニング娘。の勢いを感じなくもない。ちょっと「Say yeah!もっとミラクルナイト」(モーニング娘。'01?00?)がシングルカットされなかった時代の事を思い出した。

 

 

(あと、モーニング娘。'14という表記は、もしかしたら画期的な発明かもしれないと上の表記をして思った。昔のものにも積極的に当てはめていくと良いのではないか。マニア以外、年単位の違いとか分からない気がするが・・・)

 

 

第64回紅白歌合戦

 

http://www1.nhk.or.jp/kouhaku/

 

 

凄まじいつくりのコンテンツ  ☆☆☆

 

 

皆様あけましておめでとうございます。今年もぼちぼちやっていこうと思います。よろしくお願いします。

 

 

大晦日は、紅白を最初から最後までキチンと見てましたので、その感想でも。

 

 

まず、全体的なつくりですが、これは、もう、日本でナンバーワンの構成を誇る圧倒的な生番組と言って良いでしょう。あれだけの内容をあれだけの時間に詰め込めるのは、この番組以外に無いと思います。予算規模で言っても、他では無理そうですが。

 

 

ガラパゴス的なつくりではありますが、やってる事は世界に通用するレベルでレベルが上がってる感じもします。これを仕切れるチームが世界にどのぐらいあるのだろうか?という意味で、嵐のコンサートなどにも似たものがありますが、こういうのを見ると、日本の文化も凄い所に来ているなと思えます。

 

 

個人的に、NHK歌謡コンサートも好きなのですが、基本的には、フォーマット的にあの番組を踏襲してるというか、毎週、生番組をやり続けているその地道なスキルをベースにして組み上げているお祭り的な番組と言っても良いのでしょう。歌謡方面のスターをつくるという意味でも、お客さんを増やすという意味でも、その絡め方の「ゴール設定」または「ヒエラルキーづくり」に成功してると思います。

 

 

これは、家庭のテレビが大画面化してきて、表現領域が拡大した事に対して、真摯に「そのための」コンテンツづくりを続けて来た結果だという風に個人的には思っております。今のテレビは、むしろ、予算規模が縮小して、スポーツコンテンツ以外で大画面のメリットが享受できる番組が少なくなってるように思うので。

 

 

そのへんの「時代感」は、ここ数年、もしかしたら、十数年前ぐらいからかもしれませんが、紅白の演出の変化にも現れて来てるようにも思います。流石に毎回、視聴率を取る番組だけあって、内容も時代に沿って変遷しているといった印象です。見てて、フォントの小ささとか、モブシーンの多さなども印象的でした(今回は、詰め込み過ぎで、歌謡的な間を好む層を置いて行ってる感が少しありましたが)

 

 

とはいえ、「歌合戦」なので、ステージの内容が重要です。とりわけ「歌」の巧拙は内容をかなり左右していると思いました。個人的には、近年、紅白はライブメインのショー的な音楽シーンのキチンとした受け皿として、その存在感を増しているように感じます。

 

 

それは、ここ最近、あまちゃん等を折り込む企画・演出力もさることながら、肝心のステージが良くなってるようにも感じるからです。とりわけ、ここ数年、白が優勢であり続けるのは(ジャニーズ人気もありますが)、そのスキルにおいて、白組に面白いメンバーが増えたからだとも感じています。

 

 

今回、サブちゃんが引退する事になりましたが、白組においては、氷川きよし君の存在感なども、やはり圧倒的です。このクラスの若手歌謡歌手がいると、未来においても、歌謡層の興味を引っ張れる所もあり、それにプラスして、(初見ですが)福田こうへいさんのような歌手が出て来ると、未来に向けて厚みがあるなーと感じられます。

 

 

対して、紅組は、石川さゆりが、今回、圧巻だったと思ったと同時に、坂本冬美も貫禄が出て来てる感はありますが、それに比して、若手歌謡層が薄いのと同時に、オーソドックスに唄える歌手の減少も気になります。最近、いきものがかりが終盤に出て来るようになりましたが、終盤で出て来るには、いきものがかりはポップすぎるので、ちょっと弱いなという感じもしてしまいます(ちなみに、自分は、いきものがかかり大好きです。もうちょっと年数が重なれば、良い感じになるでしょう)。

 

 

無論、全体的には、ジャニーズの番組になりつつあるので、その演出方法も相まって、ジャニーズ的なメソッドが有効になってる感は否めません。SMAPの存在感もデカい。というより、そもそもステージの規模を見るにつけ、日本のショービジネスにおいて、ジャニーズが圧倒的に先を行ってしまってるのだという感も無くはない。

 

 

芸能の印象的には、日本の音楽界全体的に女性が元気なイメージもあったのですが、こうして見てみると、女性に存在感のある歌手が少なくなってるような感もあり、これは見てて意外でした。というより、考えると、とりもなおさず、安室、宇多田、椎名林檎あたりの不在に依る所もあるのでしょう(男性もミスチルやサザンなどいませんが)。とりわけ、安室がいるかいないかは大きいような気はします。

 

 

また若者の中でボカロ文化とアイドル文化が優勢になった所で、若い女性の歌に対するスタンスが変わって来てる面もあるのかもしれません。特にボカロ文化の取り入れ方などは、今後の紅白の未開拓地と行った所でしょうか。

 

 

アイドルに関しては、個人的に、48グループのステージは地道に良くなって来てるなーなどと感じましたが、それとは対極のソロ的に力量を見せる形、例えば、松浦亜弥のような正統派な感じになった歌手をどう捉えるかなども気になります。

 

 

歌謡界的には、そういう存在こそウェルカムだと思うのですが、それとポップシーンとどう折衷していくのか?こういった才能を大事に育てて行けるかどうかは、アイドルシーンの「未来図」にとって重要な感じはしています。いずれ、現在の松田聖子のような所にひとまず収斂していくような気はしてますが。

 

 

以上。かなり雑に列記しましたが、最後に、今回の紅白において、サカナクションの存在については、特筆事項でした。

 

サカナクションのステージは、「ROCK」または「カウンターカルチャー」というものを考える時に、大変、有効なものだと感じました。それは、Linked Horizonにも違う形で感じられたような「若者感」ですが、やはり、紅白において、ショー的なステージの主軸がしっかりしてくるに連れ、むしろ、カウンターカルチャー的なものが「存在」できるのではないか?そうも思った今回のステージでした。そういう意味でも、サカナクションが紅白に出てくれたのは面白かったです。いや、「歌合戦」なので、単純なステージ自体は、ちょっと弱い面もあったように思いますが、そこが良いのではないか?とか。ドリカムとかと比較したりして、どうなのか?と。或いは、泉谷しげると比較してなど。

 

 

そんな感じで、あまりに詰め込まれてたので、いろいろ書ききれませんが、ひとまず、そんな感想を持ちました。あと、全体的には、綾瀬はるかの紅白だったという事で。別の意味で、カウンターを感じました。

 

 

よいお年を!

 

 毎日、更新していこうと思い始めたこのブログですが、一旦、毎日更新が止まってしまうとなかなかまた書くのが難しいなーなんて事を思いました。自分の展覧会が終わって、ほっと一息ついた感もありつつ。。。

 

 

 そんなわけで、来年は無理のない範囲でいろいろメモ的な記事をあげていこうと思います。自分の備忘録的な面が強くなるとは思いますが、ご興味ありましたら、よろしくお願い致します。