レビューとメモ

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マルセル・デュシャン「泉」

 

マルセル・デュシャン - Wikipedia

 

 

言わずと知れた歴史的作品。しかし、評価不能。☆5つな気もするし。☆一つな気もする。でも、駄作という事はなく、優れた作品という事は言えるだろう。

 

 

美術館に便器を置いただけといわれるデュシャンの「泉」。

 

 

昔の作品だが、今の現代美術を語る際にも、欠かせない作品なので、なんとなく色々と考えてみたりもする。

 

 

上で、便器を置いた「だけ」と書いたが、この作品の説明を読むと、全然「だけ」ではなく、偽名を使ったり、使う権威を選んだり、デュシャンは周到にタネを撒いて、作品を成立させている事が分かる。ていうか、そもそも美術館に便器置けないし。

 

 

この作品の焦点は、美術館に便器を置ける状況設定をいかに作るか?という手腕と、(実際には置けてなくても)それをいかに「物議」に変えるか?という手腕が主に挙げられる気はする。たまに、この作品を持って、場所を変える事によって「ものの価値を上げる」マーケティング手法的に捉える向きもあるが、それもまた作品の本質の一端であるような気もするが、個人的には、そこには、割りと微妙な感じになったりはする。もっと「概念」のオリジナルな部分に関心があるというか。

 

 

というように、この作品で一番大きなポイントは、ある状況設定づくりの焦点の下、この作品が美を「物質」から切り離して、「概念」化した事によって、「作品の美」を世界の何処にいても味わえるというようなポップ化に成功した事にあるのだろう。

 

 

美術品は、基本的には「現物」を見ないと、その美の本質が把握できないものではあるが、ことデュシャンの「泉」に関しては、その美的価値の本質が世界の何処にいても把握できるので、現代の日本でも話のタネになる強度を保ててるのだろうというのが、この作品に対する自分の見方ではある。ただ、その出現状況を正確に把握してないと、便器を置いただけの作品に見えるので、鑑賞には、やはり、勉強を擁するような気はするけども。

 

 

いずれにしても、現代美術の鑑賞設定において、この作品の存在は絶大なものがあるのだろうし。話のタネに一番使いやすいネタではある。

 

 

とはいえ、自分もこの作品、東京のなんかの企画展で見たのだが、そのとき、他の作品が何飾られてたのか一つも覚えてないのに対して、この作品を見た事は覚えてるので「現物」を見ると見ないとでは、やはり、意味があるのかも?とも思わないでもない所はある。

 

 

もっとも、まあ、見た所で、ただの便器で何の感動も無かったけども。これ、飾る必要ある?(飾ってあるのダサい。権威づけみたいで。。。)みたいな。しかし、それもそれで物議の延長なのかもという複雑さを現出させた所が、この作品の「巧さ」だと言う事は言えるのだろう。