レビューとメモ

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ヒーローとヴィラン:序文

 野球シーズンも終わりつつあるので、ぼちぼち「ヒーローとヴィラン」についてまた書き進めてみる。というわけで、今回は序文をアップしてみるが、この後に続く文章は当分出てこないと思うので、ご了承を。

 

 とはいえ、言いたいことはもはやこの序文だけで言えてしまってる気がするのだが、あとは実際に対象の漫画などを読み進めていって、その感想がどう変わるかという所だ。今のところ、一番の対象のヒロアカが全く終わる気配がないので、この文章が完成するのは当分先になるだろうし。最近は初期の頃から遡って「鉄腕アトム」や「アストロ球団」を読み進めている所だが、まだ読み終わってもいない。考え出すとどこまでを対象とするかは難しく、結局、あらゆる作品を読みたくなってしまうのだが、それは無理としても結論は当分先になりそうな気がする。まあ、40年ぐらい漫画を読み続けてるので、ざっと読めば、流れはわかるとは思うのだが。

 

 といった事を前置きとして、とりあえず序文を引用形式で載せておく

 

(多分、完成形はここには載せないで、そのうちどこかにまとめるはず。ここではメモ的な思いつきをだらだらと載せていくと思う)

 

 

 実は、このところの少年マンガのバトルものは、ほとんど必ずと言って良いほど、戦闘中に善悪を語り出す事にお気づきであろうか? 実際の現実の世界では、戦闘中に敵味方が会話する事なんか相当、稀なケースではないかと思うのだが、これが少年マンガの定形になったのはどういう事か?


 この問題には、おそらく「暴力」をいかに肯定するかという問題が隠されている。善悪の区別が難しく、相対化された現代の思想下においては善悪をはっきりさせる事は重要な問題になっているように思うからだ。故に漫画のキャラクターたちは「正義」も「悪」も、その自らの暴力の正当性を読者に訴える必要がある。でないと、暴力をふるうヒーロー側が単に「悪い奴」になってしまう恐れがあるからだ。


 バトル漫画の醍醐味がその戦闘シーンのビジュアルやキャラクター設定の巧みさにある事は言うまでもない事として、バトル漫画はもはや、その作家や作中キャラクターの戦争観、善悪観を披露する場になっているのではないか?というのがこの話の骨子である。


 この文章は「僕のヒーローアカデミア」(以下、ヒロアカ)の感想から出発している。ヒロアカは「正義=ヒーロー」と「悪=ヴィラン」という明確な対立軸を題材としており、その感想に漫画における善悪の問題が避けて通れない事に気づいたからだ。同時に「鬼滅の刃」(以下、鬼滅)の構造がかなりヒロアカに類似しているのではないかという事もこの文章の出発点の一つとなる。というのも、これにより、時代による漫画の問題継承、特にジャンプ内における「善悪の問題意識」の継承をバトル漫画の演出方法とともに考えていけるのではないかと思ったからだ。全体的な論旨としては、この2作を軸に様々な作品を対比する事で展開する事になるだろう。


 この論考は基本的にはジャンプ漫画を軸にバトルものの歴史を振り返っていく事になるが、日本のバトルものに影響を与えたであろうアニメ(特にガンダム)や、ヒロアカに影響を与えたであろうアメコミの世界も比較検討していきたいと思う。本格的な研究ではないので、拙い知識の趣味の範囲で行うものとなるが、漫画を読んで日々感じた感想が誰かに興味を持ってもらえたら幸いである。