レビューとメモ

見た展示や動画などの一言レビューとかメモとか覚え書きのようなものです。

アンディ・ウォーホール展

 

 

 

http://www.mori.art.museum/contents/andy_warhol/ 

 

 

 

作品がすごく良かった  ☆☆☆

 

 

 

グルスキー展を見に行きながら、隣りのポップアート展をどスルーしたほど、アメリカンポップアートにはピンと来ない人間だったのだが、アートの本などを見てるうちに、うわ!やっぱ、見ておけばよかった!と思う事も多かったので、今回、見てみた。

 

 

 

アンディ・ウォーホールというと、割とアートの中では一番ポップカルチャーに隣接した所で作品を作っていた人というようなイメージが強かったが、今回の展覧会を見たら、割と一回性の強い(再現性の低そうな)作品というか、強いオリジナリティのある作品が結構あって驚いた。

 

 

 

多作故にウォーホールの作品は各所で見る機会が多いが、見ているのは版画が多くて、そうじゃないものはそんなに見てなかったんだなーと今更ながらに気づいた。あと、もともと若い頃、ウォーホールのドローイングの本は好きでよく見てた事を思い出した。(あれと、ウォーホールの芸能的なふるまいがあんまり頭の中で直結してなかったかも)

 

 

 

今回、見た中で一番凄いと思ったのは「死と惨事」のシリーズだったが、やはり、オークションで高額なものは一回性が強い感じというか、オリジナリティの強いものが多くて、個人的好みと合致するのかなと思った。

 

 

キャンベルスープの一連の作品も、やはり素晴らしい。キャンベルスープのデザイン自体も素晴らしいが、シルクの出来も素晴らしいと思ったし。単純なシルクじゃない作品も良かったし。既製品を作品化する仕方が素晴らしいし。何より見せ方が凄い。

 

 

全般的に色の使い方が良くて、センスが凄いんだろうなと思うが、80年代の作品は個人的には、そんなに好きじゃないのが多かったかも。玩具の絵画シリーズとかは、すごい良かったけど。

 

 

あと、単純にウォーホールのイラストレーションに与えた影響も絶大なものがあるなーというのは改めて思った。ドローイングだけじゃなく、シルクの手法とかも。

 

 

ビデオとか、社交的な部分については、よく分からないというか、最近、あのへんのロックがあんまり好きじゃないので苦手な感じはあったかも(いや、ヴェルベッド・アンダーグラウンドのCD、若い時に買って持ってますが)。結構、じっくり見たけど。

 

 

写真は、全般的に割と好きだった。ウォーホール自身の写真に関しても、若い頃の写真見ると、ちょっと冴えない感じだったので、そういう人がああいう風になるんだなーと思うと、なんか面白いものを感じる。

 

 

全体的に見てて、かなり、デュシャンの流れに沿ってる気はしたが、それ以前に単純に作品のクオリティが高かったので、それはすごい意外だった。いままで随分、ウォーホールの作品見てたような気がしたが、ろくなの見てなかったというか、よくよく考えるとスープ缶と花とモンローばっかだった気がする・・・(あんまり記憶が無いけど)。

 

 

というわけで、作品は本当に良かったんだけど、ただ、トータルとして好きな作家か?と言われると、やっぱり、苦手な所は多かったかも。

 

 

具体的に何処が?というと、たぶん全体が一点に収束していかないというか、求道的でなく、観客を煙に巻いてる所だと思うんだけど、しかし、その煙に巻き方は求道的で一点に収束している感じもするので、そのへんのややこしさがちょっと苦手なのかも(たぶん途中から本人は本当に表層的にやってるのに、そうであっても現れる表層的じゃなさというか、本人である事で統合される求道性みたいなもの。個性の強さ?の手法、或いは、結果、或いは、効果により、本人が置いてかれそうな周辺状況の設定の出来すぎな感じが苦手なのかも。デュシャンは割としっくりくるので何でだろう?と思うと、やっぱり、デュシャンは本人に収束していかないで本当に煙に巻いてるからだろうなーとは思う)。

 

 

あと、ぜんぜん関係ないけど、ウォーホール展のあとに2作だけ見れるガブリエル・アセベド・ベラルデという方の映像作品が無茶苦茶よくてビビった。

 

Flower「白雪姫」

 


Flower 『白雪姫』 - YouTube

 

 

最近ハマっている  ☆☆☆

 

 

ハマっているので、☆多めで。

 

 

初聴きの印象は、そんなに良かったわけではないけど、聴いてるとかなり感情に訴えかける所がある。

 

 

もともとE-girlsも鷲尾さんの唄が好きでハマった所があるんだけど、鷲尾さんの唄はFlowerの方で、より活きてるかなとは思う。人数が少ないので、当たり前といえば、当たり前だけど。

 

 

内容的にも、ちょっと情念系な所があるというか、八代亜紀とか、石川さゆりとか、あのへんの歌謡曲も好きなのだけど、そういう所から連綿と連なる「日本的情緒」みたいなものを感じられて、それとメンバーの唄のマッチングが良い。「白雪姫」という海外の童話のタイトルではあるけども、儚い感じを力強く表現していて、その力み具合にグッと来る感じだ。

 

 

ダンス楽曲で情念系というと、モーニング娘。のプラチナ期もそんな感じで非常に好きだったんだけど、ああいった表現を更新していってる面もあるかも。

 

 

何にしても、E-girlsのイメージが一つ出来る事によって、各グループの個性がだんだん際立つような結果になってきてるのかなとも思う。「ごめんなさいのKissing You」のMVを見ると意図的にそういう方向性に持って行ってると思うけど。

 

 

 

北川フラム「アートの地殻変動」

 

 

アートの地殻変動 大転換期、日本の「美術・文化・社会」 北川フラム インタビュー集 (BT BOOKS)

アートの地殻変動 大転換期、日本の「美術・文化・社会」 北川フラム インタビュー集 (BT BOOKS)

 

 

 

 

 思う所がありすぎた ☆☆☆

 

 

 自分も地方でまちづくりっぽい活動に参加してる事などもあり、いろいろ参考になったというより、読むと色々と感情が動く。

 

 

 個人的に、こうした活動を見ていて思うのは、大まかに言うと、こうしたアートフェス的なもののファンが増えるに従って、本格的なARTが逆に育たなくなるのでは?という事だ。

 

 

 現に、イベントから作家側のスターが出ている感じがあんまり無いし。外からスター作家を呼んできてるイメージの方が強い。それなら美術館の方がよくない?という疑問。たぶん美術館の方が本当は良いのではないか(スケールの大きい美術館が無いからこういうやり方でやっているような)。

 

 

 こうした問題は、この本の連載の最後の対談が、村上隆さんであった事からも割と本で言ってる疑問でもあるのかなと思わなくもないが、こういうアートフェスは、正直に言うと、ゆるキャラB級グルメ同様、「元々劣って見えるもの」に地域を絡ませて愛着を作って行く手法に感じなくもない。ある意味では、それが現代的でハマったのだろうけど。

 

 

 もう一つ言うと、こういうのは、最終的な目標が地域活性というか、経済を含む人間の活性を目指している所があるので、そもそもが作品にあんまり意味がないと感じる。「量」と「場」の相関の方が問題だろう。

 

 

 それは、作品の見方にも関係していて、見る側とすると、フィールドが広いと効率的に作品を見られないので、結局、肉体の疲労の方が大きくなって、自分の身体をふくむ自然の摂理の方が大きく感じるようになる。作品を点在させる事によって「量」ないし「過剰性」を演出するというか、滞在時間を延ばし、それで地元を潤わせようとしてる感じも無くもなく。参加型インスタレーションやワークショップなど正に。

 

 

 「大地の芸術祭」なのだから、それはそれで良いのだとも思うが、それは「人間の営為」を記録する美術的な方向性とちょっと違うのではないか?と思わなくもない。まあ、全体が作品だとすれば、それを記録すれば良いのだと思わなくもないが。

 

 

 無論、これが悪いと言えないのは、そもそも、この国では美術というか、欧米的な意味でのARTに文化的権威を与えてないという所もあるのだろう。所詮、外来文化なので、ARTやりたかったら、アメリカに行け!という話の中で日本のアーティストの力を使える土着的に足下を固めた別枠が新たに出てきたという事なのか否か。まだ結論は出ないで進行形の話だろうが、地域やイベント自体でなく、作家がどういう風になっていくか気になる。マルチネ(ネットレーベル)的な事は起こっているのだろうか?

 

 

(ちなみに、大地の芸術祭というイベント自体は、見た結果、凄いなと思いました。マジでこんなのよく出来たなーというレベル)

 

 という話と遠いような気もするけど、対談では、平良敬一さんと辻井喬さんの話が面白かった。気づけば、どちらも都市計画的な話だ。

 

 

抽象画について

 

 写実について書いてみたので、抽象画について日頃、思ってる事のメモ書き。

 

 

 抽象表現については、いろいろ歴史的経緯などもあるが、いまアクチュアルに抽象を志向するのは、絵画が結局の所、写実であったとしても、支持体と画材の相性をどうするかとか、それはとりもなおさず良い色を出すにはどうするかとか、全体の構図をどうするかとか、エッジの鋭さをどうするかとか、そういう事の方に気が取られるからであって、結局の所、その作業はその進行時間内において、単一的な所に落とし込まれるのであるし。だったら、最初から整理して作業を単一的、ないし、コントロールしやすい環境下での複雑さの中に落とし込んだ方が良いのではないか?という所が大きいように思う。

 

 

 その究極の形態がクラインブルーであったり、バーネット・ニューマンのzipであったりするのだろうが、個人的には、絵画である以上、zipぐらいはあるべきだろうというのが今の所のある一つの解のような気はしている。今の所と言っても、随分、古いけど。というか、単色だけっていうのは、やっぱり、絵画的問題というよりはパフォーマンス的な要素が強いのかなっていう気はする。何も展示しないとか。まあ、一番感動したニューマンの「アンナの光」は、ほぼ単色じゃねえかって話だけども。

 

 

 とはいえ、今の所、自分が一番好きなのはロスコで、ああいうエモーショナルなものを絵に置き換える作業というのは、やはり、抽象が一番効率的ではないかと思う。そういう作用というのは確実にあって、それはある種、単純な複雑性のようなものだろう。分かりやすく複雑な感情だけが見えるというか。まあ、構図とか、色の妙とかあるから、それが表現されるんだけども。なんだかんだで技術的なものを見せるには抽象の方が良いのではないか?というのもある。

 

 

 こないだのアンセルム・ライラの展覧会で消化器で壁に色を塗っていたが、そういう「今っぽいアクション」自体も抽象でないと表現できない気はする。要は「気分」もある。

 

 

 ただ、アクションペインティング自体はショー的で個人的にあんまり好きではない。単純に絵が良いかどうかの方が重要で、その為に今っぽいアクションがハマるという事は、抽象の場合、結構ある気はする。消化器のは微妙だったけど、「今」の表現方法としては凄いなと思う。残る絵では無いだろうけど。絵でもないけど。かっこいいけども。

 

 

 というわけで、ずっと絵を見ていくと、単純に抽象の方が単純で見やすくなるというのはある。問題がそぎ落とされてるので、分かりやすいというか。特に構図とか、メンタルの部分で直接的にやっているなという感じはする。

 

 

 あと、ポロックのような自分と自然の中間点を探るような事も抽象じゃないと分かりづらい。というか、写実でも、結局はそうなると思うけど、目がモチーフの「意味」に引っ張られるので、それが分かりにくいのではないか。

 

 

 その点、ポロックは分かりやすい。手法自体が中間点を出してるとしか言いようがなく、晩年と全盛期の比較とか、単なる床の染みあととの比較として見ると、絵画がどういうものかを考える意味で興味深い。それでいて、その絵に善し悪しがはっきりある所も興味深い。結局は、自然より技術故の良さなのか、それとも、人間のその時々の状態を反映してるのが、結局、絵画であるという意味での自然なのか。

 

 

 もう一つ言うと、完全な写実は、制作行程のある段階から塗り絵状態になりがちな気がするので、そこの所で、結局はミニマルな作業になっていくのだろうという気はする。構図を決めたら、あとは写真のようにやるというか、マス目すら描く人がいるようなので、それは結構、目に縛られてるのではないかとか。スクリーン投射なぞるのただのトレスじゃんとか。写真が出来てからの絵画というのが正に抽象なのだろうけど、要は写実も補助線引いてるだけなのではないかとか。完全な写実じゃなかったら、それはただ単に形状でエモーショナルな事を表現してるに過ぎないのではないかとか。

 

 

 

 そう考えると、現状では、絵画の問題が抽象に至るのは当然だなという気もするが、これは鑑賞者の問題を結構省いてる気がするので、やはり、その折衷の中にこそ最適解があるのではないか。で、折衷という意味では、今の日本のデジ絵とかは、「良い絵」が気分的に分かりやすくて良いのではないかとも思う。まあ、その文化に浸ってない人には分かりにくいんだろうけど、それは抽象表現主義とかでも同じだと思うし。ある意味では、初音ミクとかも、モチーフデザインを限定する事で問題がミニマルになってる気がする。

 

 

「写実絵画の魅力」

 

 

写実絵画の魅力 世界初写実絵画専門美術館「ホキ美術館」に見る

写実絵画の魅力 世界初写実絵画専門美術館「ホキ美術館」に見る

 

 

 

面白かった  ☆

 

 

最近、写実絵画について考える事が多く、写実をどういう理由で描いてるのか?考え方が知りたくて買ってみた。

 

個人的に、ホキ美術館には行った事ないのだが、その前後というか、それより前だと思うけど、なんとなく写実が時代にフィットしてきてるなーと思ってた時期があって、それが今に至って、流行っているなーという感じになってきているように思う。

 

自分の理解だと、割りと写実は、ある種の個性を排する事によるミニマルアート的な部分があるのかなーと思っていて、絵的にも、動的というよりは、静謐なものが流行っているような感じはしている。

 

もう一つ言うと、アートの世界が自由になりすぎて何をしたら良いか分からない所に、ある種の「型」を作って、そこの範囲内で一人の作家が色々な事を試す方法論が流行っているのかな?という気もしている。特に、これがアメリカだと、抽象表現主義のような流れに至るのだろうけど、日本ではまだポロックすら知らない美術好きの人が結構な数いる所で、ある種、写実が分かりやすく受けてきた部分もあるのだろう。

 

無論、自分が日本で写実が流行るのは、どういう事かなー?と考えた所で、下手な考えなんとやらなので、ひとまず、こういう本を読んでみたりしてみるわけだが。

 

 

と言っても、知らないものは、やはり、理解が浅く、そんなにはまだどういう事なのかは分からないのだけれど。

 

とりあえず、この本を読むと、「単純化」とか「禅」という言葉も出て来てるので、やはり、ある種、ミニマルな所はあるのかなという気はする。

 

また、ここに載ってる絵を見ると、写実と言っても、やはり、日本的なイメージがあり、海外のものと比べるとウェットな印象を受けるなーという感じはする。ある種の「日本的な概念」を表現するのに、写実と言う表現が適している感じはしなくもない。(本の中の話では、海外の写実があまり無いような印象を受けるが、個人的には、結構見た気がするので「リアリズム 絵画」」で検索かけた所、やはり、結構出て来て、やはり、硬質なイメージの作品が多かった。それが本の中で言わんとしてる写実と一緒かどうかは分からないけれど)

 

あと、そもそも、前述の「ゼロ・グラビティ」もそうだけど、ハリウッドの3DCGは、ほぼ写実と言って良いつくり方であれだけの表現をしてきているわけだから、そういうものと比べて、絵画はどうなのか?どのように位置づくのか?という事も、ここ最近の美術のトピックではあるなーとも思う。

 

そして、その考えで行くと、ひとまず、ハリウッドでの人物写実描写を切り拓いたのがファイナルファンタジーだったなーという事も思い出したので、やはり、日本と写実はフィットするのかなー。などという事も思った。

 

と、以上。やっぱり、浅薄な知識はまとまらず。

 

とりあえず、いずれホキ美術館に行かねば。

 

 

ゼロ・グラビティ(3D版)

 

http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/

 

 

凄すぎた ☆☆☆☆

 

 

遅まきながら見て来た。近年のベスト作品。

 

 

内容的にはどうといった事もないけど、ここまで作り込まれると凄いとしか言いようが無い。ただただ、なんちゅー凄い所なんだ!ハリウッド!!!という、それだけ。

 

 

これをどうやって作っているのか?というより、こんなのを実現できるとは、凄い時代になったもんだというか、あまりにも凄まじい技術力を見せつけられて、なんという鬼のような作り込みなのかと想像を絶する。カット割とか、そういう技術も凄すぎる。これを見て、この先、映画がどうなっていくのか?どうやったら、こんなレベルを維持して更新していけるのか、想像もつかないレベル。それぐらい圧倒的に飛躍した表現力。見事すぎた。

 

(但し、もう一回見たいか?というと、そうでもない映画ではあるが。)

 

 

モーニング娘。'14「笑顔の君は太陽さ」「What is LOVE?」


モーニング娘。'14 『笑顔の君は太陽さ』(Morning Musume。'14[You bright ...

 

 

奇妙な曲ではある  ☆☆

 

 

ただ、聴き慣れると大変良い。

 

独特のタイム感があるので、最初は、何だこれ?って感じになったが、聴き慣れるとかなり癖になる。サビだけ取り出すと、そんなにヘンな曲でもないのだが、通して聞くと、やたら歌詞というか、メッセージの目立つ曲にもなっている。

 

個人的に、かなり後ろの方に来る間奏部分も好き。そこが聴きたくて、もう一回聴いてしまう部分も無くも無く。

 

難しい曲だと思うが、パフォーマンスもMVで見る限り、随分、安定した感もあり、現モーニング娘。の成長を感じられる一曲。

 

 

 


モーニング娘。'14 『What is LOVE?』 (MV) - YouTube

 

 

よく出来ていると思う  ☆☆

 

 

こちらは先行して発表されていた曲だが、すごく良い。単純な出来でいえば、こっちの方が全然良いと思う。ただ、頭にこびりつくとか、野心的であるとか、そういう意味では「笑顔の君は太陽さ」の方が力強いとは思うが。

 

 

しかし、この曲も発表された時は、また凄い曲が来たなと思ったものだが、トリプルA面の一曲という事で、映像を見る限り、実質B面的な扱いな感じもあり、なんというか、今のモーニング娘。の勢いを感じなくもない。ちょっと「Say yeah!もっとミラクルナイト」(モーニング娘。'01?00?)がシングルカットされなかった時代の事を思い出した。

 

 

(あと、モーニング娘。'14という表記は、もしかしたら画期的な発明かもしれないと上の表記をして思った。昔のものにも積極的に当てはめていくと良いのではないか。マニア以外、年単位の違いとか分からない気がするが・・・)