レビューとメモ

見た展示や動画などの一言レビューとかメモとか覚え書きのようなものです。

警察的、軍隊的、スポーツ的


 ヒロアカも佳境に入ってきた感があるので久々に「ヒーローとヴィラン」について書いてみる。前と重複している所もあるかもしれないけど、メモ的なものなので、ご了承を。


 今のヒロアカが正に直面しているが、ヒーローものにおいて、その存在が「警察的」であるか「軍隊的」であるかは結構な問題となってしまっている。これを創作の世界がどう描いてきたのかざっくりと見ていく。


 まず一番分かりやすいのが、バットマンスパイダーマン問題だ。共にヒーローものとして確固たる人気を得た作品であるが、その存在はスーパーマンやアイアンマンと比べて戦闘力的に弱い。これをどうしてきたか。

 結論から言うと、どうともなっていないのではないかと思う。脚本のテクニックで何とかジャスティスリーグアベンジャーズに組み込んでいるが、その中だとあまり輝けていないような気はする。バットマンスパイダーマンも単独の作品で主役にした方が魅力の出るヒーロー像ではあるだろう。

 バットマンの方は(時系列は逆だが)バックボーンがアイアンマンに近いので財力でパワーアップできる余地はあるが、やはり、スーパーマンの方が強く見えてしまうのは仕方のない所だろう。というか、普通にそう思いながら見てしまう。

 アベンジャーズでも、スパイダーマンはバックボーンをつけて財力で強化しているが、やはり、キャラクター的に強い描写は難しいようで少し脇役になってしまっている。そこが勿体無い。というのがアメリカのスタンダードだと思うが、しかし、その元々の人気の源は狭い街の自警の話なので、やはり、警察権力的な存在の方が身近に感じられて人気が出ていたのだろう。


 日本で一番人気とも言えるヒーロー「仮面ライダー」も自警的なので、この系列に入ると言える。というよりも、そもそも「人間と他の生物を組み合わせて自警させる」というのが最も鉄板なヒーロー像なのかもしれない。


 日本におけるヒーローの歴史もざっくりと見てみよう。基本的に初期の「鉄腕アトム」「鉄人28号」は戦争の影響も色濃いので、警察的でありつつ軍隊的な所もあるように見える。というより、警察権力的な描写であっても力を行使する時点で戦争の生々しさが反映されているのだろう。ここで日本のヒーローとして最初に「ロボット」が流行ったというのも重要な要素となるはずだ。ロボットは、それそのもの兵器とイメージが直結し、やがて、日本ではロボットを道具として扱う描写が主流になる。というのは、まあ、鉄人からそうだったと言えば、そうだけど。

 それを少し脱していくのが石森章太郎の作品ではないか。自身のライフワークとも言える「サイボーグ009」はかなり軍隊的な面があるが、「仮面ライダー」はやや自警的な存在である。そして、1973年の「ロボット刑事」で刑事物を挟み、「ゴレンジャー」において存在は警察的でありながら、敵のスケールが大きくチーム戦を行う流れへと受け継がれていく。これが1975年である。そして、そのどれもで機械と人間の関係がテーマとなっている。このへんの石森話は、本来、前の続きで書こうと思ってたので、あとで細かく書くかも。


 このあと、1977年に「リングにかけろ」が始まるのだが、意図してかどうか、このリンかけにゴレンジャーのような構図が持ちこまれて、全く違う形でジャンプ漫画のスタンダードスタイルが花開く。これはもはや警察的でも軍隊的でもないのだが、さりとて単純なスポーツものとも言えず、何が何だか分からないけれど、出会ってしまったからには強大な敵と戦うしかないという壮大な戦い方が起こり、これはのちに「ドラゴンボール」にまで受け継がれていく事になる。これがジャンプ漫画に、というか、日本の漫画に他と違うバイアスをかけているのではないか。

 ここで日本の創作の流れ的にいうと、戦争の影響が色濃い60年代と比べると70年代のヒーローは少しデザイン的に身近になる傾向が見える。例えば、1972年の「ガッチャマン」などは過渡的な存在と言えるだろう。同じ年に始まる「マジンガーZ」もロボットでありながら、主人公がパイロットになる事で等身大の人間像が取り入れられている。必然、個人が戦いに巻き込まれていくので自警的な面が強いようにも見えるが、作者が「ハレンチ学園」でハレンチ大戦争を描いた永井豪なので描写は生々しいのが日本のロボットアニメにある種のバイアスをもたらした所ではあるだろう。これは「デビルマン」も同様だ。そして、デビルマンサイボーグ009と共に日本のヒーローものに「神話的」な要素を押し進めた作品でもある。

 それと並行して、ヒーローものとは少し違う形で「宇宙戦艦ヤマト」が大流行し、ここにおいて日本のアニメの主流が大規模戦争ものの方向に舵を切っていく路線ができていく。もちろん、これには「スターウォーズ」の影響もあるだろう。

 このあと、1979年に「ガンダム」が始まるが、この人気が放映より少し遅れて広まり、80年代あたりにこの影響がモロに出て、これ以降、「ロボットもの」というジャンルは完全に「戦争」を描く為のジャンルになっていく。1983年の「ボトムズ」などはその典型と言えるだろう。一応、90年代に「Gガンダム」や「ライジンオー」みたいな反動はあるが、主流にはなり得なかったように思う(但し、エヴァに至る流れに影響を与えているのかもしれない)。


 その頃、ジャンプといえば、1979年に「キン肉マン」が始まって、正にリンかけと同じ構図で「スポーツもの」とヒーローものがミックスされていく事になる。この裏にはもちろん「タイガーマスク」をはじめとする梶原一騎のスポーツヒーローものがあるのだが、同じジャンプ内でも「侍ジャイアンツ」があったので、その延長とも言えなくはないだろう。が、よりジャンプの後進に影響を与えたのは同時期に同様のネタでやっていた「アストロ球団」の方であるはずだ(今思えば、この時期から蠱毒をやってるんだな、ジャンプ)

 一方、正統的なヒーローものとしては、1982年に「宇宙刑事ギャバン」が登場して人気を博す事になる。1982年といえば戦隊モノが「サンバルカン」で人気を博して戦隊モノが完全にシリーズ化していく流れでもあり、意外と80年代初頭も等身大ヒーローものに人気があったと言えるだろう。但し、この時期、仮面ライダーウルトラマンもやっていない。これは、この時代に一度、旧世代のヒーローが一旦古くなった事を意味するだろう。しかし、1984年に「ゴジラ」だけは復活。この時、ゴジラがヒーローではなく敵方で、味方の方が軍隊になり「スーパーX」というメカを登場させているのもポイントのように思う。結局、宇宙刑事もロボットだし。戦隊モノも最後にロボットが出てくるのがポイントではないか。

 このあと、1985年に「聖闘士星矢」が出てくる。「聖衣」というアーマーを着て戦うこの物語は、地球の命運をかけてタイマンを繰り返す何とも凄い設定だ。リンかけの発展形ではあるが、キン肉マン天下一武道会のようにスポーツ的な設定でも無いのに、ほとんどチーム戦をしないので話が読みやすい。とりわけ十二宮編の構成は、その後の漫画の展開にも多大な影響を与えた舞台設定と言えるだろう。そして、ここに至っては、その存在は警察的でも軍隊的でもなく「神話的」になっていて、何だかよく分からないものになっている。漫画において、こういう現実を感じさせない設定にリアリティを感じられる事が普通になったとも言えるのがこの頃ではないか。まあ、聖闘士星矢リンかけを踏襲していて、スポーツ的な戦い方ではあるのだが。

 そして、この構図が受ける事に気づいたのか「ドラゴンボール」もこの構図を導入している。天下一武道会リンかけの踏襲だし。ベジータフリーザとの戦いもタイマンだ。「ドラゴンボール」はスタートこそ聖闘士星矢よりも先だが、武道会の外にまで戦いの範囲を広げたピッコロ編は、聖闘士星矢と並行して、スポーツ的な戦いを実際の戦闘に組み込んでいく方法をジャンプに定着させたメソッドになったのではないか。もちろん、鳥山明はナメック星編においてチーム戦も上手く書いて戦闘に広がりをもたらしたが、最終的なボス戦はタイマンが多く、他が手出しできないような状態を作って話が見やすくなっている。

 これがもはや「ONE PIECE」はもちろんの事、現在、「呪術廻戦」もボス戦がタイマンになっており、一つのジャンプの定型になっているとは言えるだろう(今の所)。

 とは言っても、「鬼滅の刃」と「NARUTO」は少し違っているし。「ヒロアカ」ももしかしたら少し違うので昔よりは広がりはあるのだが。次にそれを少し検討してみよう。

 というか、ドラゴンボールも本当の最後はブウ戦であり、これもまた少し定型を崩す形となっている。但し、人気という面で言えば、やはり、ピークはタイマン部分(シンプルにどちらが強いのか)という面が強く、これが今はどうなっているか見ていきたい。

 その前に重要な点として、聖闘士星矢と違って、ドラゴンボールは「レッドリボン軍」なども出てくるように話が少し軍隊寄りであるという点がある。フリーザなども組織がしっかり描かれており、かなり軍隊的だ。悟飯の描き方などには、多少、警察的な面もあるような気もするが、力の規模を大きくして相手を強くするうちにリアリティを作るためにも軍隊レベルの描写が必要となったのだろう。ここでジャンプ漫画は少しだけ現実のリアリティを取り戻すのだが、このバランスの妙がドラゴンボールをトップに押し進めた一因と言っても良いのではないか。もちろん、その卓越したグラフィックデザインと共に。

 その後、90年代にドラゴンボールが圧倒的な一時代を気づく中、その構図を他の作品がかなり取り入れてジャンプの定型は、ひとまず完成する。特に「ONE PIECE」は「海軍」など、最初から相手の描写を軍隊的にして強さの位相を決めて連載を始めているように見えるので、ここにおいて、80年代、90年代に行き当たりばったりで展開を決めて模索し続けた漫画の表現方法は、最初から決め打ちでジャンプ構図の物語を大きなスケールで描く描き手が出てきたと言っても良いだろう。これは「シャーマンキング」などにも同様の傾向が見えると思う。

 但し、描写的にはやはり軍隊よりも警察的な存在の方が人気が出ると見えて、ジャンプ漫画の主人公は、結局は自警的な側面が強いのではないか。「ONE PIECE」も「海軍」と言いつつ、その存在はかなり警察的なようにも思えるし。「NARUTO」もまた仲間同士の内輪の戦い=スポーツ的な戦いや仲間を救う自警的な描写で人気が出たあと、終盤の戦争描写でやや人気が落ちたようにも思う。そう思うと「ONE PIECE」の大規模戦争の描写は白眉ではあるが、ワンピースもメインとしては海賊対海賊のタイマン描写がメインで「スポーツ的」な戦闘描写こそがジャンプ漫画の醍醐味と言えるだろう。

 ここで忘れてはならないのが、ドラゴンボールと同時期の「ジョジョの奇妙な冒険」とワンピースと同時期の「HUNTER×HUNTER」の存在だ。この二作品は、表の定型の裏で数々のメソッドを作り出し、後続に多大なる影響を及ぼしている。

 ジョジョの奇妙な冒険は、ある意味では「神話的」な作品でそれを押し進めた格好となっている。サイボーグ009もそうであるが、神話的な作品は「超能力」がポイントとなっており、この「異能」が悪魔や神と結びついて、異能バトルを繰り広げるのが定型だ。横山光輝の「マーズ」などは、その完成形の一つと言っても良いだろう。

 ジョジョは、こうした傾向と諸星大次郎的な土着の世界観を結びつけ、神話要素によりリアリティをもたらした作品だと言えるだろう。その最大の飛躍は1989年開始の第三部で出てきた「スタンド」であろうが、これにより異能バトルの新たな定型が出来上がり、のちの漫画に多大なる影響を与える事になった。ハンターもその発展形と言って良いだろう。

 ハンターの作者の冨樫義博は「幽遊白書」において天下一武道会的なトーナメント的なタイマンバトルの物語と主人公サイドに美形を出すという車田メソッドで人気を博した後、それを解体する事で再度人気を得たと言っても良いのではないか。

 ハンターはデザインこそドラゴンボール的な正統派の装いをしているが、内実は単純な戦いをほとんど描く事がなく集団戦の描写が多いのも特徴だ。もちろんタイマンも結構見られるのだが、そこに向かう舞台設定や能力の設定を複雑にする事で戦いに幅を持たせているし。異能バトルによって軍隊が手を出せず、タイマンをするにも、そこにきちんとした理由をつけている場合が多いのはポイントだろう。例えば、ハンターにおいて主人公が戦うのは、そもそも「ハンター」が職業だからでもあるが、この「職業だから」という理由で戦う描写はこれ以降、ジャンプ漫画で多くなっていく。これはのちに「呪術廻戦」などにも受け継がれているし。「SPY×FAMILY」にも少しその影響が見られるだろう。ヒロアカも、もちろん、この流れにある。

 学園を舞台とした「ヒロアカ」は「ヒーロー」を職業とする事でヒーローの特異性を描いた作品である。学園ものなので主軸としてはスポーツ的な戦闘の正統派な要素を落とし込んだ作品となっているが、ここにおけるヒーローは異能に悩み、その存在をリアルなものとして扱っている。そして、ここでのヒーローは完全に警察的であり、相手を殺せない描写を苦心して行なっている。まあ、実際には戦いが激しいので軍隊は出てくるし。人も死ぬのだが、その死に方は車田時代とは打って変わって、かなりリアリティのあるものとなっている。構図的にはNARUTOと似ているが、舞台的には現代に近いので、かなり通常兵器の見せ方と説得力に苦心していて、その苦労のあとが伺えるだろう。

 「鬼滅の刃」も同様に完全に鬼殺隊という警察的な存在を主軸に据えているが、こちらは相手が鬼なので容赦なく殺すのが他とかなり違うところである。相手の事情は考慮しつつ、しかし、鬼なので斬るという潔さ。その揺れ動く心情が鬼滅の刃の「物語」として、よく出来た所であろう。というより、ここにおいてはジャンプ的な戦闘のスポーツ感、爽快感が無いようにも感じられ、同じような構図の「チェンソーマン」と合わせても、もう既にドラゴンボール的なスポーツの延長としての戦闘みたいな描写は廃れつつあるのかもしれない。かなり生存のために戦う側面が強くなっているのが、この二作品でもあるが、これはテロの時代を反映したものでもあるだろう。

 そして、現行の「サカモトデイズ」においては警察権力がほとんど機能していない上に軍隊もあるんだか無いんだか分からないままに完全にテロの時代の漫画になっていて、もはやジャンプ漫画においては敵味方の区別なく、単に職業等の理由で戦って、その境界を曖昧にするのが主流なのかもしれない。

 もちろん、その有り様もかなり戦争的ではあるが、しかし、軍隊のように組織だった存在が弱いのが、ジャンプの、もしかしたら、日本の創作の特徴であるのかもしれず、これはアベンジャーズのように複雑な戦闘をかなり戦争的な衝突として描いていた作品と比べると、かなり対象的な描写になっているとは言えるだろう。

 またジャンプ以外でも戦争を直接的に描いているガンダム「水星の魔女」などは基本的には最後まで戦争が学園ものの範疇に収まっていて、生徒会役員が戦争で重要な役割を担っていく。初期には自治の為にタイマンを繰り返していた(スポーツ的な描写をしていた)りしていたし。この辺の構図もかなり日本的な構図だと言えるのかもしれない。